


今日のマン・レイ
-- Tommye of
http://www.fashionologie.com
シュールレアリズムはサルバドル・ダリやマン・レイの活躍で1920年代に全盛期を迎えたが、ミシェル・ゴンドリーはそれを先導するために自分の役割を果たしている。私が彼の作品を初めて見いだしたのは2004年のことで、そのとき彼は『エターナル・サンシャイン』で本流に踊り出た。これは、自分自身の心を辿りながら、消え去ろうとしている自分の記憶を保とうとしていある男を主演にした映画である。それに続く2006年の長編映画『恋愛睡眠のすすめ』で、私は彼が潜在意識と意識を継ぎ目なしに融合していることに魅せられた。彼の個性はベッドの足元に置いたアイスボックスに両足や、体と同じくらい大きな両手を入れることで目覚める。最近の監督作品『フライト・オブ・コンコルズ』で、ゴンドリーは人間の頭をスピーカーに変えている。意外性、滑稽、予想外の要素、つまり超現実主義で全編が彩られていながら、2年前にサンフランシスコで発見したこのビルのように、きわめて現実的でもある。


子どもの感性
-- Mirai Yamamoto,
http://ameblo.jp/mirai-y/
「シュールだね」
日本人はたまにこういう言い方をすることがある。
日本の若い世代は、シュールという
「シュルレアリズム」から派生したこの言葉をまじめに使うことはまずない。
(私の周りのアラサー世代女子は少なくともそう。)
たまに使うとしたら、
「それってシュールだね」
などと言いながら、
<一見リアリティのある普通なモノ>なんだけど、
でもその中に一部だけ、あきらかに
<普通じゃないヘンテコで奇抜な部分>
を見つけたときにそんな風に表現したりするぐらいだ。
それは自分の理解を少しだけ飛び越えているあまり、
単純に「可愛い!」と言うのがはばかれる
リアル過ぎなキャラクターグッズだったり、
あるいは常識からかけ離れた、どこまで本気かわからない
ジョークや行動に対しての精一杯の評価だったりする。
でもシュールの語源の「シュルレアリズム」について
考えてみると、またちょっと考えが変わるかもしれない。
シュルレアリズムとは・・・
美学とか道徳による先入観や、自然の法則などによる制約を
一切取っ払った上で表現される芸術のことで、
「強度の強い現実」や「上位の現実」を指すのだという。
この手法は、何もダリに代表される芸術家たちだけの
ものではなくて、例えば価値観や常識的な概念の
形成されていない子供による図画工作においても
あてはまる。
子供の創作する世界には万有引力の法則なんて関係ないし、
「山は緑色、空は青い色」なんていう常識は陳腐にすら思える。
そのくせ、無意識に描かれたのであろう作品の中に、
ものすごく本質を突いているような部分をみつけて私たちは
はっとさせられることすらある。
子供たちやシュルレアリストたちには、私たちの持っている
常識や固定観念が通用しないはずなのに、
その非常識や非固定観念による作品が常識にとらわれた
私たちの心をふと強くつかんで話さないのは本当に不思議だ。
そしてずっとみていると何が本当の現実かなんて、
わからなくなり、そしてどうでもよくなる。
芸術家や感性豊かな子供でなくとも、彼らの表現した事物を
みれば、おのずとそんな感覚になる。
「わかるわかる~」と同意まではできないけど、
意識的にせよ無意識的にせよ、
実はすごく本質を捉えて表現されているからこそ、
超現実とか、上位の現実なのかもしれない。
ルールにとらわれないからこそ、こちらがわに
ルールというものを強く意識させるようにも思える。
今まで冷めた笑いとともに使ってきた
シュールという表現がカッコいいものに思えてきてしまった。


ジョルジオ・デ・キリコのシュルレリスム的なビジョン
ナタリー書
-- Nathalie
http://www.mysacamain.com
ダリがシュルレアリスト派画家の絶対的な象徴となったとすれば、ジョルジオ・デ・キリコもまた、自らを1910年から1920年の間の「形而上学的画家」と呼んだこのアートにおいて抜きんでていた。
ギリシャで生まれたこのイタリア人画家の絵画は、特に遠近法の技法、彫像による人物表現、そしてとりわけ新奇なオブジェの存在が特徴である。
私は、部屋の中に閉じ込められ、打ち広がった水の上で船をこぎ進むような男を表すLe Retour d'Ulysseのような、あるいはバナナやパイナップルなどと交じり合う彫像の頭のLe Rêve Transforméな、彼の一部の絵画に見られる「ギャップ」に興味をそそられた。

"Le rêve transformé"
1913, de Giorgio De Chirico
パリ市立現代芸術美術館で開催中の回顧展での必見の絵画「ジョルジョ・デ・キリコ1888-1978 夢のスペース」2009年2月13日から5月24日まで


バランスのとれた女性へ
-- Keiko Yabe,
http://ameblo.jp/tiara-factory
シュルレアリスムとは芸術の形態、そして主張の一つのことを言い、
超現実主義とも訳されますが、もともとは「シュルレアル」(超現実)と「イスム」(主義)からなる語です。
歴史に名を残すシュルレアリストとしては芸術家のダリやピカソやミロなどがいますね。
私は美術館が好きですが正直言って一つ一つの作品を評価できるほど芸術はわかりません。
しかし心を無にして作品を見てみると伝わってくるものがある・・・
その絵画や彫刻から芸術家の伝えたいものが見えてくるのです。
一見、子供の落書きのような作品は、ルールや概念に縛られず独自の世界観で表現された超現実なのです。
日本の伝統文化でいうと千利休が確立した茶道があてはまるように思います。
ただ、茶をいれて飲むだけでなく、茶道具や茶室に置く美術品などにこだわり、
生きていく目的や考え方を学ぶ、広い分野にまたがる総合芸術です。
非日常の空間を作りその中から現実を見つめるのです。
こうして考えてみると、シュルレアリスムがさまざまなところに潜んでいることに気が付きます。
私はマナー講師として日々、
「マナーは気取ることではなく人生を心から楽しみ、大切な人と大切な時間を共有する為にあるもの」
と、常に生徒さんにお話しております。
大人になるとさまざまな雑念や見返りを求め、見せかけだけの美しさにこだわりがちにです。
人の目を気にし、プライドで身を固めることだってあります。
そもそもマナーとは気取ったり着飾ることではないし、
堅苦しいと思いがちな"作法(ルール)"は、無駄なものを省いた究極の美しさを持ったものなのです。
大切なのは与えられた自分の命を大切にすること。
自分の人生に対するマナーが出来てこそ、"相手に対する思いやる"ことができる人、
大切な人と大切な時間を共有できる人になれるのだと思います。
意外に大人になると忘れてしまいがちな事ですよね。
大人になってからの雑念を削ぎとり
純粋さを取り戻すことは大切ですが
大人になるということは他人との調和も大切ですよね。
それもシュルレアリスム(超現実)であり
それをコントロールするのがマナーなのです。
非日常の世界観も必要ですがシュルレアリスム(超現実)も持った
バランスある女性をこれからも目指していきたいと思っています。
